罪悪感からの完全な解放

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 いいことだけ考える 市原悦子のことば 【沢部ひとみ著 文藝春秋】を読みました。

市原悦子さんは、2019年1月12日に83歳でこの世を去りました。『家政婦は見た』、『まんが日本昔話』など、誰もが知るドラマやアニメの女優、ナレーター、声優として、多くの人に愛されました。

 

そんな彼女にも、死ぬ間際まで抱えていた罪悪感がありました。 それは、若くして病気で亡くなったお兄さんのことです。 お兄さんが大学病院で手術を受けたときに、彼女は舞台の稽古で忙しくしていました。そんな中で、いつも付き添う母の代わりに悦子さんがお兄さんの看病をしたのです。大学病院の午前中の回診の際、看護婦が前日に手術したばかりのお兄さんの病衣が血で汚れているのを着替えさせようとしました。それは、患者のためというよりも、自分が怒られないための着替えだったようです。お兄さんは、着替えさせられる途中で、急変し、そのまま逝ってしまいました。

 

「私ではなくは母が付き添っていたなら、そんなことはさせなかっただろう」

息子に期待をかけていた父も母も、兄の死に絶望しました。それゆえに、悦子さんは、自分を責めないわけにはいかなかったのです。「お兄さん、ごめんなさい。赦して。」「お父さん、お母さん、ごめんなさい。私が悪かったの。」

 

33年経ったころ、あるお寺のお坊さんに話したら、「まぁ、そんなに前に亡くなったら、もうとっくに許していますよ。お兄さんはもっともっと大きな人になっています。怖がることは何もありません」と説得力をもって語るお坊さんのことばによって、90%恐怖の塊が溶けていったそうです。しかし、残りの10%は、悦子さん自身が死の床にあるときに、襲ってきます。2017年の秋、病院から自宅療養に移った悦子さんは、精神的に不安定になり、一か月間全く眠れずに、「お父さん!お母さん!お兄さん!」と何度も叫んでいたということです。

 

厳しい修行をして、仏教を究めたお坊さんの説得力あることばにも、10%ぬぐい切れなかった罪悪感があったのかもしれません。

 

ところで、イエスキリストは、私たちの100%の罪をその身に負って死んでくださったお方です。その死は、身代金として父なる神に支払われました。借金は、わずかでも残っていれば完済とはなりません。赦されているような気持ちになった。赦されていると考えていい。そのような受け止め方で、私たちの罪の重荷のいくらかは少なく感じられるかもしれません。でも完全に赦されているという確信にはどうしても至ることができないのではないでしょうか。 なぜ神が人となったのか。なぜイエスという神の子が地上に来たのか。聖書は次のように説明します。

 

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 【テモテへの手紙第一 1章15節】

 

キリストはあなたの、私たちの罪を背負って十字架に死ぬためにこの世に来てくださったのでした。このお方が、私たちの罪悪感を100%ぬぐってくれる根拠です。なぜなら、それは実際に起こった歴史的な出来事だからです。

 

キリスト教会では、信仰の告白を礼拝の中で行うところが多いですが、その告白文の中に、次の一節が出てきます。「(キリストは)ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」というものです。このピラトという人物は当時のローマ総督でした。つまり確かに歴史上の人物だということです。聖書以外の記録も残っています。キリスト教会では、キリストの十字架の死が歴史的な事実であるということを意識するために、あえて異邦人であり、クリスチャンでもなかったピラトの名前をその告白文の中に入れているのです。

 

あなたには、自分の魂の奥底に、今もあなたを責め続ける罪悪感がありませんか。他の人たちが何と言おうと、自分で自分を赦せない、魂の真摯な悩みではないでしょうか。あなたは、それを決して放置したまま死を迎えてはなりません。それは、あなたが死ぬときに、あなた自身を苦しめ、またあなたが死んだ後には、肉体が無くなっても、その魂を苦しめるものとなります。

 

聖書は、罪の赦しを神の恵みとして無償で差し出しています。無償ですから、ぜひ受け取ることをお勧めします。神はあなたがそれを受け取ったからといって、それに代わるものをあなたに求めるようなお方ではありません。恵みは恵みです。取引でなく、労働報酬でなく、プレゼントであるということです。あなたの罪悪感がイエスキリストの十字架の死によって、すっかりと拭われ、あなたの魂が神のもとに導かれることを切に願っています。

 

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。 【テモテへの手紙第一 2章4節】

死の向こうにあるいのちと再会

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次々と、大切な存在が地上から天に移されていく。あの人もこの人も、と考えつつ、いつかは自分もそうなっていくことに考えが及ぶ。

 

この地上をずっと生き続けることはできない私たちだけれど、神様は永遠を約束してくださった。私たちを造り、命を与えて下さった永遠の神だからこそ、永遠を約束できる。

 

永遠のいのち。それは、次に挙げる二つの聖書箇所によれば、神と人との切っても切れない絆を意味するという。神と御子を知ること。神と御子から知られていること。この二つの糸が結び合わさって永遠の絆の輪となる。その輪は、先に天に召された先達たちに繋がる輪でもある。またお会いできる。あの人にも、この人にも。神様は、なんと憐み深く、なんと素晴らしい救いを約束してくださっているのだろうか。

 

ヨハネ 17:3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。


コリント第一の手紙 13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

 

癌と共に、それ以上にキリストと共に  松田政一牧師説教1964年古川教会テープライブラリー

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今、健康上の大きな困難の中におられる方があるでしょうか。あなたにとって一番の慰めと希望は何でしょうか。聖書は、私達がどのような状況の中にあっても、光を見出させてくれるように導きます。今回ご紹介するのは、
日本同盟基督教団の教団理事長で、東京の中野教会の牧師であった松田政一牧師の説教です。15歳まで神岡で育たれました。神学校を卒業されて2年間、古川教会の牧師(4代目1921〜1922)でもありました。
 1964年、胃がんとの闘病生活を経ての力強い説教です。健康であれ、病気であれ、いつかはこの地上で最後を迎える私達。しかし、その中にあって生きる幸いとはどこにあるのか。
聖書箇所は、以下のところです。聖書朗読は口語訳で読まれています。当時の古川教会牧師であって山室裕英牧師(第15代)が朗読しています。
コリント人への手紙第二1章3〜7節
【口語訳】

 1:1 神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
 1:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
 1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
 1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
 1:5 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。
 1:6 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。
 1:7 だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。

今日の名言

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答えを学ぶのではなく、正しい問いを見つけ出しなさい。  ーN.T.ライト

納骨式

今日は納骨式を行いました。
私たちの国籍は天にあります。

我らの国籍は天にあり

古川教会の9代目と11代目の牧師大塚清明師の夫人、越女姉が天に召され、葬儀に出席しました。96歳でした。
ご遺族と飛騨高山教会に主の慰めがありますように。

K.T.さん召天

K.T.さんが心不全のために、天に召されました。89歳でした。ご主人は先にお亡くなりになり、お子さんはいらっしゃらず、お一人で暮らしていましたが、近くに教会員の妹さんが住んでいました。妹さんは家庭集会や教会に姉のKさんを誘い、洗礼を受けられたのが2年前の2015年6月でした。

 

11月16日は故郷の上宝まで妹さんと一緒に、私の運転で訪れました。幼馴染のご友人宅や生家跡、お母様の骨が入っているお墓など、訪れることができ、大変喜んでおられました。目が弱いということ意外は、終わりと元気だったのでまさか一ヶ月を待たずに天に召されるとは思いませんでした。しかし、何事にも定まった時があります。神様がなさることは最善なのだと信じたいです。

 

またお会いしましょう、Kさん!

 

写真左がKさんです。
今日の聖書:
コリント人への手紙第一15章20〜22節
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

2017春の小学生キャンプ in 松原湖

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子ども二人を連れて、春の小学生キャンプに参加してきました。
今年のキャンプのテーマは、「神の子ども」です。
とてもわかりやすい聖書のお話に、みんな聞き入っていました。
「何かができるからではなく、わが子だからかわいい」そのように、私たちの天のお父さんが思っていて下さる。
日常生活の中で、一生懸命必死に頑張っている子どもたちにこそ、伝えたい「存在の素晴らしさ」「関係性ゆえの愛」。
聖書の勉強ばかりではなく、ゲームやプログラム、BBQなど、楽しいこともいっぱいのキャンプでした。

故布施マサ江姉の洗礼式(病床洗礼)

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2016年の夏ごろから礼拝に来られるようになったマサ江さん。
2017年2月4日に洗礼式を受けられました。
病床洗礼となりましたが、事前にイエス・キリストを救い主として心の中にお迎えして、学びを経て、この日に至りました。
自分の命が限られているものであると人が実感するとき、永遠のものに目が向かいます。
罪の赦しと永遠のいのちは、キリストの十字架の死と復活によって、だれでもどんな状況の中でも与えられます。
今日の聖書のことば
イザヤ書28章16節
だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
写真手前は、娘にあたる教会員のEさん、奥は教会役員のNさん。

戦う欲望

こんばんわ
Mです。

テレビやネットを見ていると様々な情報を知ることができますよね。
他にも新聞や雑誌など、色々な事が書いてありますよね。

真実かどうかは僕には分かりませんが…

この世の中を生きていると、いつも争いがあると思います。

聖書を読んでいて、すごいなぁ…と思う時があります。
自分にしか分からないはずの心の中を御言葉が示してくるんですよね…
不思議です。

ヤコブの手紙、4章の1節

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。