つながり

2018年8月26日の礼拝には、とあるご夫妻が旅行先で礼拝に出たいとのこと。前日でお電話で苗字だけお名前を伺っていましたが、当日礼拝が始まってみるとびっくり。高槻福音自由教会で長年牧会をしておられた林正輝先生ご夫妻でした。

私の両親も同じ高槻市内で牧会していましたので林牧師とは知り合いですし、私の高校時代からの友人も高槻福音自由教会員です。驚きのつながり。林牧師も当日まで気づかなかったようです。
林先生は2016年春から滋賀県にあります野洲福音自由教会で牧師をしておられます。ご来会、ありがとうございました!

2018年8月25日若宮わくわく食堂(子ども食堂)

この日のメニューは、夏野菜カレー!

ホットプレートで焼いた香ばしい野菜を自分のカレーにトッピング!とても彩り豊かで美味しいカレー!!
この日も60食ほど提供することができました。毎度与えられるボランティアの方々のお陰です。ありがとうございます!

いっしょに

今回の休暇では、息子のジュニアロードバイクと私の折りたたみ自転車を帰省先にクルマに積んでいきました。これまで私の自転車を積んで帰省したことは何度も有りますが、息子のは初めでです。今回は、兵庫県伊丹市にある妻の実家から、一緒にペダルを漕ぎ、近くにある池を一周したり、伊丹空港近くに行って離着陸する飛行機を眺め、いくつかの店に立ち寄ったりするだけでした。それでも十分満足することができました。息子と一緒だったからです。
 これまでは、一人で遠出することに精を出していました。今回は、二人で近くでも良いから一緒にということが目的でした。それは一人旅では得難い喜びでした。息子もそれなりに喜んでいたようです。

 神様も同じように、私達と一緒に何かをすることを望んでおられるように思います。神様だけが知り、考え、実行するほうがはるかに効率良く、多くの結果を生み出すことができるでしょう。それよりも神様は、たとえ遅々として進まないようであっても、私達と一緒にことを成そうとされます。私達の歩みに歩幅を合わせることを喜ばれる神なのです。私達が心を注ぎだして祈ることの意味はここにあります。
 
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。(創世記28:15)

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癌と共に、それ以上にキリストと共に  松田政一牧師説教1964年古川教会テープライブラリー

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今、健康上の大きな困難の中におられる方があるでしょうか。あなたにとって一番の慰めと希望は何でしょうか。聖書は、私達がどのような状況の中にあっても、光を見出させてくれるように導きます。今回ご紹介するのは、
日本同盟基督教団の教団理事長で、東京の中野教会の牧師であった松田政一牧師の説教です。15歳まで神岡で育たれました。神学校を卒業されて2年間、古川教会の牧師(4代目1921〜1922)でもありました。
 1964年、胃がんとの闘病生活を経ての力強い説教です。健康であれ、病気であれ、いつかはこの地上で最後を迎える私達。しかし、その中にあって生きる幸いとはどこにあるのか。
聖書箇所は、以下のところです。聖書朗読は口語訳で読まれています。当時の古川教会牧師であって山室裕英牧師(第15代)が朗読しています。
コリント人への手紙第二1章3〜7節
【口語訳】

 1:1 神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
 1:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
 1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
 1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
 1:5 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。
 1:6 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。
 1:7 だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。

牧師のDIY力とそれ以上に大切なもの

教会玄関の網戸の調子が悪いので戸車を交換しました。部品代はホームセンターで1000円ほど。戸車は網戸の下の部分に2つ付いています。一つの部品に欠損がありますね。両方換えました。

もともとついてあった2つを見比べると写真を見ると、一つの方に欠損があるのが明らかですね。
牧師ってDIY力がある程度求められるのかも。でもそれ以上に大切なものは、神様から与えられているその人の賜物(能力)を用いて心から喜び感謝することですね。

エペソ書4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、

聖書のお話『思い煩いからの解放』秋山善久牧師(19代目)古川教会テープライブラリーより

秋山牧師の説教←クリック 【口語訳】 マタ 6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

飛騨古川花火大会

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2018年8月13日は飛騨古川花火大会でした。本当はこの日は関西へ帰省する予定だったのですが、中学生になった娘が「友だちと行きたい」というので帰郷を一日遅らせました。
私は小学生の息子と一緒に、ファミマで買ったアイスを食べながら、キャンプチェアーに座りながらのんびりと楽しみました。
良いですね、飛騨古川花火大会。すぐ近くでやるのも嬉しいし、人がめちゃくちゃ多くないのも良い。規模は小さくてもそれなりに楽しめます。

今日の名言

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答えを学ぶのではなく、正しい問いを見つけ出しなさい。  ーN.T.ライト

子育てガイドブック掲載

古川キリスト教会の子ども食堂の案内は、飛騨市の子育てガイドブックに掲載されています。

聖書の大改訂

 

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新改訳2017という大改訂がなされ出版された今年。大・中・小さまざまな大きさの聖書が次々と出版されています。

 

実は、今年の12月、もうひとつの日本語聖書が30年ぶりの大改訂をして出版されます。その名も「聖書 聖書協会共同訳」です。これまでカトリックとプロテスタントとが力を合わせて翻訳した「新共同訳聖書」の大改訂版になります。

 
1887(明治元訳),1917(大正改訳),1955(口語訳),1987年(新共同訳)に続く形です。およそ30年おきに改訳がなされています。日本だけではなく、世界的にみても同様だそうです。それにしても、明治とか大正という元号を聖書の翻訳名に付けるあたり、その時代の感覚を感じさせますね。元号は、天皇の即位を土台にした年代のとらえ方(歴史的にみると即位に関わらず元号が変わることもありました)です。だから、クリスチャンはイエス・キリストの誕生を土台にした西暦を使った方がよりふさわしいと私は考えています。パンで大きく改訂されるのには、三つの理由があると言われています。(日本聖書協会『SOWER』45、p3より)
 
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▲悒屮薀じ譴筌リシャ語写本の研究が進んでいること
 
聖書学が発展して原文の意味がより明らかになっていること
 
これは、宣教においても大変プラスになることだと思います。牧会について言えば、新しい訳によって今まであやふやだったり誤解を伴いやすかった聖書のことばを、より正確に分かりやすく語り、聞くことができます。また伝道について言えば、今まで一般の人にはなかなか伝わりにくかった単語が、より分かりやすく正確な意味合いで相手に伝えやすくなるからです。

聖書の大幅な改定を、あまりよく思わない人もいるようですが、神様がなそうとしておられる宣教の前進のために、積極的に活用することを牧師としてお勧めします。